塩谷瞬との二股騒動で話題になった冨永愛に再び悲劇が。
9月2日放送の「土屋アンナ&冨永愛VSよゐこ 真夏の無人島で2泊3日0円生活」で冨永愛の乳首が丸見えになってしまったのだ。
この番組はライブや生放送でなくVTR。
放送前のチェックで気づきそうなものの、そのまま 冨永愛の乳首はお茶の間へ放送されてしまったのだ。
身長179センチ、パリコレ出演もある一流モデルの冨永には屁でもないようだが・・・・
ポロリ放送事故・石川梨華椎茸狩りでお尻の割れ目
(激裏Pressより)
【乳首丸見えファッションショー】
(再掲載)
塩谷瞬(29)の二股騒動の当事者として、わずか1週間のうちに交際宣言
と破局報告を、自身が生出演する番組で行うことになった冨永愛(29)。
そんな彼女には、塩谷との交際直前、ある男性との真剣愛があった。
冨永が塩谷に出会ったのは、昨年12月25日、長渕剛(55)の自宅で行われた
餅つき大会でのことだった。実はこのとき、冨永は大きな悩みを抱えていた
という。冨永の知人は語る。
「愛ちゃんが塩谷くんと初めて会ったとき、実は山本太郎さん(37)とつき
あっていたんです。山本さんと塩谷くんは東日本大震災でボランティア活動
をしていたことから、もともと知り合いで、餅つき大会に来ていた山本さん
が塩谷くんに愛ちゃんを紹介したんですよ。
でも、実は愛ちゃんと山本さんは上手くいってなくて・・。
山本さんが原発問題から大阪に引っ越すことになって、それに愛ちゃんを
巻き込めないと、別れ話が出ていたそうなんです」
2004年10月にパリ在住の年上パティシエと「できちゃった婚」を発表した
冨永だったが、2009年4月に離婚。小学生のひとり息子のためにも冨永は再婚
を考えていたという。
「愛ちゃんは大きくなっていく息子さんのためには、男親がいたほうがいい
と考えるようになったんです。山本さんとの関係がダメになっていく一方で、
塩谷くんも気になっていったんじゃないですか。それで、山本さんと別れ、
出会って間もないけど、自分だけでなく子供のことも愛してくれる塩谷くん
と、急速に親密になっていったんです」(前出・冨永の知人)
そうして塩谷と冨永は3月中旬に交際をスタートさせた。
(ニュース記事より引用)
【2012年3月12日の記事】
山本太郎 3.11以降支えてくれた恋人との破局の真相を激白
自らを「うるさいハエ程度のものかもしれない」と山本太郎(37)はいう。
しかし、その信念は熱くゆるぎない。「生きるっていうのは最低限の権利
じゃないですか。3.11以降、政府がそれさえも担保してくれないことがわ
かった。だったらそれを変えていかないと」―― 俳優という仕事を横に
置いてまで突き進むその姿勢は、女手ひとつで育ててくれた母の教えの
賜物だった。
「うちは物心ついたときから父親がいませんでした」
ペルシャ絨毯の輸入業で生計を立て、山本とふたりの姉の2女1男を女手
ひとつで育て上げた母・乃布子さん(66)は、エネルギッシュで豪快な
性格だった。
そして、3.11は起きた。
「当初、母は『仕事も(脱原発)活動もバランスよくうまくやりなさい』
といっていたんですよ。両立させられたらいいねと。でも、一歩踏み出
してからは『信念を貫きなさい』に変わりました」
「後悔はしていない」と、山本はいう。
だが、事務所を離れ、一匹狼となった彼の生活は一変した。
収入はかつての10分の1までに落ち込んだ。
予想はしていたものの、現実を目の当たりにするとやはり気弱になった。
まして、これからの人生をともに歩もうとしていた恋人に対しては、男
としての不甲斐なさが日に日に募る一方だった。
「1年ほど交際していた女性でした。3.11以降、ずっとぼくを支えてくれ
たのも彼女だったんです。脱原発活動を始めたばかりのころ『これから
は仕事が減るかもしれない』と話したら、彼女『自分が働いて食べさせる』
とまでいってくれて・・・。でも、それも男として情けないですよね。
それに、はっきりいって、いまのぼくの存在は"うるさいハエ"のような
もの。いつ原発推進派に叩き落とされるかわからないし、逮捕だの起訴だ
のという事態にもなりかねない(実際に山本は昨年9月佐賀県庁での抗議
活動について建造物侵入などで刑事告発されている。同12月に不起訴が
確定)。そこに彼女の人生を巻き込むことだけは避けたかったんです」
話し合いの結果、昨年7月にふたりは別れた。
「もしかしたらほかにもっとよい解決策があったのかもしれません。
でも、あのときのぼくにとってはそれがベストチョイスだった」
そういうと、山本はまるで自分自身にいい聞かせるかのように、大きく
うなずき、そして再び話しはじめた。
「なぜ、ぼくがこうした運動をしているのか。それはごくごくシンプル
な理由。すべては"生きたいから"なんです。人生、嬉しいことも嫌な
こともあるかもしれないけど、それを感じられるのも、生きていられる
からでしょう。せめて、その最低限の権利を守りたいと思うんです」