自動車のF1シリーズ第15戦、日本グランプリ(GP)は7日、三重県の鈴鹿サーキットで決勝を行い、ザウバー・フェラーリの小林可夢偉(26)が3位に入った。
日本人ドライバーが表彰台に立つのは、1990年日本GP3位の鈴木亜久里(当時ラルース・ランボルギーニ)、2004年米国GP3位の佐藤琢磨(同BARホンダ)に続いて3人目。
3番手から好スタートを切った小林はレース序盤、2位を走行。
一つ順位を下げた後も安定した走りを続けて、09年にF1デビューして以来、55戦目で初めて表彰台に上がった。
ポールポジション(PP)からスタートしたセバスチャン・フェテル(ドイツ、レッドブル・ルノー)が2年ぶり3度目の日本GP優勝を飾り、2位にはフェリペ・マッサ(ブラジル、フェラーリ)が続いた。
総合ポイントで首位のフェルナンド・アロンソ(スペイン、フェラーリ)はスタート早々に他車と接触し、リタイア。
日本GP開幕前に今季限りでの現役引退を表明したミヒャエル・シューマッハー(ドイツ、メルセデス)は11位だった。
じりじりと迫る元王者の重圧に押しつぶされることなく、小林はバックストレートに滑り込んだ。後続とは0秒560差。
「信じられない。初めての表彰台が鈴鹿で驚いている」。
最高峰レースに参加して4年目。快挙に沸くスタンドの声援に両手を振って応えた。
昨年の鈴鹿を制したバトンと息が詰まるような3位争いを繰り広げた。
小林は相手より4周早い31周目にピットイン。
「残り3周は後ろタイヤがひどい状態だったが、攻め続けるためにはスピードを緩められなかった」。
バトンが残り2周で自己ベストをマークして猛追すると、小林も次の周回で自己ベストを塗り替えて逃げきった。
スタート直後にアクシデントが続いて強豪が姿を消す波乱の展開。
3番グリッドの小林は第1コーナーを内から攻めて2番手に上がり、一気に流れをものにした。
「自分の力だけでなく、チームが表彰台に近づけてくれた」。
この3日間でマシンの調整が進んだのも後押しした。
トヨタ自動車の若手ドライバー育成事業の支援を受け、18歳になる2004年から欧州レースに参戦。
F1デビューは3年前。鈴鹿の日本GPでトヨタ(当時)の代役ドライバーとしてフリー走行。
次のブラジルGPから本格参戦した。
10年から所属するザウバー・フェラーリでは4位が最高。
カルテンボーンCEO(最高経営責任者)は「ここまで長い時間はかかったが、彼は実力があった」と笑顔で話した。
母国GPで15ポイントを獲得。総合優勝争いは11位と順位を一つ上げた。
「バトンを抑えられたし、多くのファンに手を振ってもらえたのは素晴らしく思えた」。
母国で立った初めての表彰台は26歳に大きな自信を与えた。
(ニュース記事より引用)
可夢偉と交際中のあびる優「幸せな日」
7日に三重・鈴鹿サーキットで行われたF1日本GP決勝で3位に入った小林可夢偉と交際中のタレントあびる優が同日、「嬉しかった日」というタイトルでブログを更新した。
あびるは「今日は忘れられない幸せな日になりました」と書き出し、「応援してくださるファンの方 スタッフさん達 家族や友達 支えて下さってる全ての方に感謝です。ありがとうございます!!感動しました、、。」と結んだ。
小林の3位は日本人3人目で自身にとって初めて。
(該当記事)
【ツーショット画像】
【F1ドライバー小林可夢偉 F1日本GP決勝レース後のビデオコメント】
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