デヴィ夫人が破産寸前!金欠説浮上
TV番組では後藤田の元愛人女性を平手打ちし謝罪。
大津市のいじめ事件では無関係の女性を加害者母として公開、名誉毀損で慰謝料支払命令の判決を受け、都知事選で破れた田母神候補への投票をメールマガジンで訴え、公職選挙法違反で厳重注意を受けるなど年末からトラブル続きのデヴィ夫人。
何かと必死なのは、自己破産寸前という経済状況だからだという。
父親は麻布区霞町界隈の大工。
貧困家庭からインドネシア大統領の第三夫人へ。
そして弟の自殺、クーデターによる大統領失脚。
大統領の隠し財産と、デヴィ夫人の行動力で現在も潤沢な資産があると言われていたが、パチンコ屋やオートレースでの営業と、とても資産家とは思えない仕事ぶりもあって金欠説が浮上。
特に地方のパチンコ営業はリムジンに乗って登場する演出だが、なりふりかまわない営業には悲壮感さえ漂っていたという。
とはいえ、娘はオランダで米系大手金融機関シティバンクの欧州・中近東・アフリカ地区CEOフレデリック・シーガス氏。
エリートと結婚し、インドネシアに居住。
デヴィ夫人が破産寸前なら娘からのフォローはあるだろう。
【デヴィ夫人の娘、カリナスカルノ】
タレントとして勢力的に活動するデヴィ夫人。
金欠とはいえ73歳とは思えない働き方はシニアの星ともいえよう。
【仕事を選ばない勇姿】
【東洋の真珠といわれたデヴィ夫人の若い頃】
【デヴィ夫人年表】
1959年:スカルノ大統領と出会う。
1962年:スカルノ大統領の第三夫人にインドネシアに国籍を移しラトナ・サリ・デヴィ・スカルノに改名。
弟の根本八曾男が自殺。
1965年:クーデター勃発。スカルノ大統領失脚。
1967年:東京都内で娘カリナさんを出産、フランスへ亡命
1970年:スカルノ大統領死去。遺産を相続。
1991年:アメリカへ移住。
1992年:フィリピン大統領の孫娘ミニー・オスメニャにワイングラスをぶつけ逮捕。
ミニー・オスメニャは37針を縫う大けが。禁固60日の実刑判決。
1996年:芸能界のご意見番としてワイドショーに出演するようになる。
(激裏Pressより)