徒然小箱 naomiの日常:長田さん

ネタのタネ | コラム | naomi | Ladies
2014/11/25 14:16
知らなかった!0件
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • お気に入り

jyoushi2.jpg

長田さんが亡くなって5年経つ。
長田さんは私の元上司だ。
その広告代理店は派手なイメージがあったが
私が配属された部署は職人気質や芸術家的な人が多く、
のんびりした空気が流れていたように思う。

しかし長田さんは別だった。
慶応卒、関東弁でオールバック。
社内でなぜかワイシャツを脱ぐ。
そのインナーは「Y’s」と小さく書いた白いシャツ。
行き先ボードには英語で書く。
よく怒鳴っていた。
ものすごく浮いていた。嘲笑される程に。
しかし実は下町出身で、私の妹と同じ高校だったと
知り仲良くなった。
お昼は社員食堂で食べているというと
「あんなマズいもの、よく食べるな」といい
時間が合えば北新地や堂島で一緒にお昼を食べるようになった。
「オマエは、何も知らないなあ」と言われ
そのうちに2人で飲みにいくようになった。
連れていってくれた店はホテルのバーやレストラン、
新地のラウンジやクラブなど
やはりギラギラした店ばかりだった。
そこでの会話は長田さんの武勇伝と演説。
そして服装や言葉遣い、身だしなみなど私へのダメ出し。
だいたいハタチの女の子が40超えのオッサンと2人で
飲んでも面白くないのだ。そして締めは毎回
「オマエ、もっといい女になれよ。」
柳沢慎吾の「あばよ!」並にサムかった。
私は2年経たずにその会社を辞めたが
長田さんとは偶然会う機会があった。
時間が許せばお茶をした。
何年経とうが相変わらずの武勇伝と演説、私への説教。
そして締めの「オマエ、もっといい女になれよ!」は
シラフでも変わらなかった。
その後、長田さんは関連会社の社長となり
東京に行ってしまった。
ギラギラの本場に行ったので満足かと思いきや
「実は寂しそうにしてるらしいよ」と噂で聞いた。
その後、重篤な病気に罹り、休職され
ヒッソリと関西に戻っていたらしい。
亡くなった事は、当時の同僚にも長い間知らせず
私もかなり経ってから聞かされた。
元気のない自分を見せるのも、イメージさせるのも
嫌だったのだと思う。
そして私は、長田さんが最もギラギラしていた頃と
同じ年になった。収入やキャリアは比ぶべくもない。
相変わらず化粧も適当だし、香水もつけない。
余計な事を喋るし、相手を立てず気遣いもできない。
髪の毛も短いままだ。
もし今、長田さんに会える事が叶っても、やはり締めは
「オマエ、もっといい女になれよ!」
と言われてしまうんだろうなあ。
naomi
激裏GATE Ladiesより)
合わせて読みたい
知らなかった!0件
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • お気に入り
« 前の記事へ ホームに戻る 次の記事へ »
メンバーメニュー
サービス
その他
このページのTOPへ