【閲覧注意】 マリリン・モンローの死体写真と怪死の真相
セックスシンボルの代表的存在、「マリリン・モンロー」は1962年、36歳の時に自宅寝室で死亡しているのが発見されました。
その際に撮影された死体写真です。
遺体搬送の様子も残されています。
16歳の頃、モデルとしてデビューしたマリリン・モンローは、少しずつ映画にも出演するようになり、20歳でハリウッドの映画会社と契約したのをきっかけに、本名のノーマ・ジーン・ベイカーから「マリリン・モンロー」へと名前を変えます。
1951年の「イヴの総て」に出演したのをきっかけに、後にアメリカ映画界を代表する大スターとなりました。
ですが、1962年、36歳の若さにして自宅で不審な死を遂げました。
睡眠薬の飲み過ぎによる自殺という結論となっていますが、「胃の残留物から発見された薬の量が少ないこと」など自殺にしては不審な点が多く、当初から他殺説が浮上しており、死の真相は依然はっきりしていません。
【遺体画像と搬送の様子】
【マリリンモンローはなぜ死んだのか】
1962年8月5日、自宅の寝室で全裸で死んでいるのが発見された。
没年36歳。
死の直後、マスコミでは「死因は睡眠薬の大量服用による急性バルビツール中毒で、自殺の模様」と大々的に報道され、世界に多大な衝撃・悲嘆が駆け巡った。
「映画『女房は生きていた』の主役を降ろされたことを悲観して」との根拠に欠ける仮説も唱えられたが、2000年代に入りFOXニュースが20世紀フォッ クスの倉庫から発見した資料によると、FOX首脳部との会談で、モンローとそりの合わなかった監督を降板させ、モンローを復帰させる契約が交わされていた ことが分かった。
さらに、「何という行き方!」というミュージカル大作への出演も決まっており、「モンローが配給会社から見捨てられ、失意の中で死んでいった」という仮説は成立しなくなることが分かった。
1980年前後以降は自殺説は影を潜め、何者かによる謀殺説が根強く叫ばれ続けている(謀殺説はモンローの死後間もない時期から存在していた)。
現場からは自殺に使うはずのコップは発見されておらず、また彼女が遺体で発見されたとき、手には受話器が握られていたものの、FBIが押収したモンローが 死亡した前日と死亡した夜の電話の通話記録には電話局からは同時刻の通話記録はなく、部屋からは彼女の日記(赤い手帳)が消えていた。
そのため電話の通話記録の改ざん・隠蔽を行うことができる政治力の持ち主がモンローの死に関わっていたとする主張がある。
「急性バルビツール中毒による体の不調を受けて救急車を自ら呼ぶために受話器を取ったものの、ダイヤルする前にこと切れた」という説もある。
なお、ケネディ大統領と1950年代より不倫関係にあったことが、上記のように死後複数の証言から暴露された上、お互いを紹介したのが、ケネディの大統領 選挙の際の支援者でマフィアの大ボスのサム・ジアンカーナと関係の深いシナトラであったことが、この謀殺説を後押ししている。
また、ケネディ大統領の弟であり当時の司法長官だったロバートとも不倫関係にあったことがあきらかになっており、これらの不倫の事実が死後に公にならないように、モンローが常に会話の内容をメモしていた赤い手帳が表に出るのを避けたという話もある。
(wikiより)
【美しいマリリン・モンロー】
【Marilyn Monroe sings Happy Birthday To J.F Kennedy.】
ジョン・F・ケネディ脳が出てる遺体画像(閲覧注意)