母の藤圭子さん(享年62)の飛び降り自殺後、斎場にも姿を見せず、沈黙を続けていた宇多田ヒカル(30)が、初めてコメントを出した。
自らの公式サイトで
「8月22日の朝、私の母は自ら命を絶ちました。さまざまな臆測が飛び交っているようなので、少しここでお話をさせてください」
と切り出し、「彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました」
と明かした。
「その性質上、本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、家族としてどうしたらいいのか、何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩ん でいました。
幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。
症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が 曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました。
私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした」と娘として苦しい胸の内を明 かした。
さらに「母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです。
誤解 されることの多い彼女でしたが・・・
とても怖がりのくせに鼻っ柱が強く、正義感にあふれ、笑うことが大好きで、頭の回転が早くて、子供のように衝動的で危 うく、おっちょこちょいで放っておけない、誰よりもかわいらしい人でした。
悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です。
母の娘 であることを誇りに思います。彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
沢山の暖かいお言葉を頂き、多くの人に支えられていることを実感していま す。
ありがとうございました」
と気丈につづっている。
宇多田ヒカルの曲中には、母へのメッセージが多いといわれている。
Be My Last(2005年)
「母さんどうして 育てたものまで 自分で壊さなきゃならない日がくるの?」
Letters(2002年)
「いつも置き手紙 ああ夢の中でも 電話越しでも ああ声を聞きたいよ」
嵐の女神(2010年)(休業前ラストアルバム収録)
「嵐の女神 あなたには敵わない」
「お母さんに会いたい」
「分かり合えるのも 生きていればこそ 今なら言えるよ ほんとのありがとう」
【宇多田ヒカル喪服姿(追記)】
(再掲載)
【訃報】宇多田ヒカルの母 藤圭子さんが飛び降り自殺
8月22日日午前7時ごろ、東京都新宿区西新宿6丁目のマンション敷地内で、歌手藤圭子さん(62)が血を流して仰向けで倒れているのが見つかった。
心肺停止状態で病院に搬送されたが、間もなく死亡確認。
現場は、JR新宿駅の北西約1キロでオフィスビルなどが立ち並ぶ一角で、28階建てマンションの「N.Y.T.アトラスタワー西新宿」。
13階から転落したようで、警視庁新宿署は飛び降り自殺とみて調べている。
このマンションには知人の30代男性が住んでいて、ベランダにスリッパの片側が落ちていたことという。
遺書などは見つかっていないというが、男性宅を訪れていて飛び降り自殺したとみて、詳しい経緯を調べている。
通行人がマンションから女性落ちたことに気付いて、110番通報。
元夫の宇多田照實さんが藤さんだと確認。
警察署員が知人男性宅を訪れたとき、男性は1人で寝ていて、藤さんがいなくなったことに気付かなかったという。
東京都新宿区西新宿6-25-8
【自殺現場で血を洗い流す警察官】
【壮絶な生い立ち】
藤圭子は浪曲師の父と三味線弾きの母との間に出生。
旅芸人として盲人の両親と貧しい生活をしながら全国をまわる幼少期だったという。
その後、1969年に「新宿の女」で歌手としてデビュー。
「圭子の夢は夜ひらく」「女のブルース」などのヒット曲を出した。
売れっ子になったのも束の間、1979年 20才で結婚、1983年には娘のヒカルを出産、その後離婚。
1996年にはヒカルと一緒に曲を発表したが、近年は表舞台から遠ざかり、日本に寄り付かず海外を豪遊。
ファーストクラスで移動、高級ホテルに滞在しギャンブル中毒に。
今年に入り、マカオに滞在していたという。
銀行も信用せず、いつも現金を持ち歩き2006年3月にはニューヨークのJFK国際空港にて麻薬取締局により多額の現金を没収された事もあった。
宇多田の父宇多田照實氏とは6度の結婚離婚を繰り返し、実の母とは20年以上前に金銭トラブルで絶縁。
恩師の葬儀にも行かなかったという。
貧乏な生い立ちから親子二代で歌手で成功するもメンヘラ、ギャンブル依存、果ては薬物中毒の噂もあった藤圭子。
【藤圭子&宇多田ヒカル「冷たい月」】
【藤圭子:圭子の夢は夜ひらく】
【宇多田ヒカル デビュー時】
【宇多田ヒカルと両親、藤圭子(母)・宇多田照實(父)】
【藤圭子(母)・宇多田照實(父)】
【宇多田ヒカルと宇多田照實(父)】
ご冥福をお祈りいたします。